名前

国籍
生年月日
ポジション
代表デビュー
所属クラブ





W杯出場
ドラガン・ストイコビッチ
Dragan Stojkovicc
ユーゴスラビア
1965/3/3
MF
1984/6/13 ベルギー戦
81-86 ラドニキ・ニシュ
86-90 レッドスター
90-91 マルセイユ
91-92 ベローナ
92-94 マルセイユ
94-01 名古屋グランパスエイト
90年 イタリア 98年 フランス

ヨーロッパ選手権(Euro’92)に出場するためユーゴスラビア代表としてスウェー
デン入りしていたストイコビッチの元に悲報がもたらせられた。 ユーゴの「国際 
試合禁止」の措置であった。 内戦が続くユーゴに対する制裁措置である。 大会
はユーゴの代わりに繰り上げ出場したデンマークが優勝を飾る。 ユーゴは優勝
の本命とみなされていた。 全盛期を迎えていたストイコビッチは国際舞台から  
閉め出されたのである。
90年イタリアW杯で鮮烈に国際舞台に登場したストイコビッチは、マラドーナの後
継者と目され、90年代はストイコビッチの時代になるのではないかと思われた。
鋭いドリブルにフェイント、正確なスルーパスにロングパス、そして完璧なフリー
キック。 W杯スペイン戦で披露したフリーキックは、大会のベストゴールと呼べる
見事なものだった。
オリンピック・マルセイユでプレーしていたストイコビッチだが、失意に加え怪我も
重なり、輝きは失われようとしていた。 彼が再生したのは日本のJリーグであっ
た。 94年、Jリーグの名古屋グランパスに移籍したストイコビッチの元に待ちに
待った「制裁解除」の吉報が訪れる。 輝きを取り戻したストイコビッチは、素晴 
らしいプレーを日本のファンの前で存分に披露し、Jリーグ史上最高のプレイヤ
ーの称号を得る。 
愛称は、その華麗なプレーから『ピクシー(妖精)』と呼ばれる。