その2
 「1966年、たったひとつの輝き」……
 谷口ひとみ 『エリノア』論


 短編マンガというのが好きです。何でかといえば、とにかく読み切りで物語が完結するからです。 そしてそれゆえ、多少思い切ったことを作家さんがズバッと書ききった感が あるからです。作者自身が後にそれを振り返ってどう思うか知りませんが、時々読み手にとってはその後の人生に影響するくらい強烈な印象を残して去っていくことが 多くて、それゆえ雑誌を読んでいても読みきりマンガは必ず読むようにしています。

 今回のテーマとして選んだ『エリノア』もそうでした。


 ざっくりとあらすじを申し上げると、主人公のエリノアはとあるお城のメイドさん……いや「女中」です。ところが他の女中らに比べてダントツに醜く、そのことを コンプレックスにも感じ、仲間の女中や王子からも嘲笑されていました。しかしながら、内面の美しさというか、とても綺麗で優しいこころの持ち主であり、 そういったものを本人も大切にして生きていました。

 そんなエリノアのことを見守っていた仙女が、彼女の誕生日の夜に現れて、エリノアをとても美しい乙女に変身させたところから物語が動き出します。折りしもその晩は 舞踏会、体格に合うドレスもないエリノアはひとり女中部屋で泣いていたのですが、仙女の魔法で花のように綺麗な乙女に変身した彼女は、勇んで会場に赴きます。そして ひそかに想っていた王子とともにダンスを踊ります。

 王子はすっかり魅了されて、エリノアに結婚を申し込みますが、彼女はこれは自分の本当の姿ではないと言って拒もうとします。そうすると、元々大変にお優しい王子は、 「女性は見た目じゃない。こころの美しい女性が好きだ」といったことを言います。これまでずっと見た目の醜さに負い目を感じていたエリノアは、そこで幸せの絶頂に いたるのですが……。


 (以下に作品の結末とか、そういったことを書きます。これから読もうとしている方、あるいはそのあたりのことを知りたくない方は、ここから引き返してください)

 

 
 

 以前『こち亀』の中でシンデレラ物語について触れて、「シンデレラは元々綺麗だったから王子様にも気に入ってもらえたんだ。初めから不細工だったら誰も結婚なんて申し込まんぞ!」 といった意味合いのことを言っていたのですが、この物語はそれを裏付けるというか、肯定する内容となっています。

一応、王子様とお姫様、豪華なお城で舞踏会、仙女の 魔法で美しい乙女に変身などなど、ファンタジーな要素が多分に含まれているのですが、一歩奥に踏み込むとそこは現実、あるいは真実の世界――都合よくはいかない世界が 厳然としてあることに気づかされます。
 
 王子は彼女を引き連れて湖のほとりに行きますが、そこで湖面に映る彼女の真の姿を見ることになります。仙女の魔法にはふたつの条件があって、「30時間の時間制限」、そして「水面には 本当の姿が映し出される」というものがあるのですね。

 さっきまでは彼女のこころの美しさに惹かれて結婚を申し込んだ王子ではありましたが、「愛してくださいますよね?」という 彼女の言葉を振り切り、背を向けて立ち去ってしまいます。「あまりにも醜すぎる」…… 冷酷な、しかし率直な感情がその理由でした。

 とはいえ、少女の素直な思いを踏みにじってしまった罪の意識はあまりにも大きく、王子はアラビアから伝わる酒を大量服用して自ら命を絶とうとします。意識を失う王子、 そばに寄り添うエリノア。そして彼女は王子のこころをもてあそんだ魔女として捕らえられ、地下牢に閉じ込められてしまったのでした。

 地下牢の中で王子の生命が助かることを必死で祈る彼女のもとに、仙女が再び現れます。 いわく、王子を愛する者の命を自らの手で奪うことで、王子の命は助かるということです。 それならとばかりに、ためらいなく自分の命を差し出そうとするエリノア…… ではありましたが、「恋する者にとって、 自分の命を差し出すことくらい何でもないもの。そんな簡単なことではない」と釘を刺されます。 じゃあどうすれば、というと、もうひとり王子を愛し、こころから心配する者――王妃の命を奪えと 言われてしまいます。

 もちろん最初はためらいますが、愛する王子のためにと決心をします。そして息子を助けてほしいとエリノアのもとに懇願 しに来た王妃を刺そうとするのですが、これは直前で衛兵に止められます。

「今度は王妃様を!」とさらに糾弾されるエリノアではありましたが、その時に仙女から言われたことをそのまま打ち明けると、それならばと言って王妃は 自ら短剣を手にして命を差し出そうとします。

 しかし、それもまた止められます。たとえ愛するもののためとはいえ、人の命を奪うことはできない。そう言って止めたのはエリノア自身でした。

 ひそかに様子を見ていた仙女は、エリノアと王妃の、王子に対する愛情を認め、エリノアの命を王子に与えるという形で、蘇生させます。そして王子はすべてを忘れていつもの朝のように目覚め、 ひそかにエリノアは息を引き取ったのでした……。


 二度、三度と読み返すほどに、エリノアの美しさが染み渡ってきます。私は27歳のいい (年した)男ですので、どちらかというと王子の側の立場に近く、自分だったら……なんて ことを考えてしまいます。まあ、そもそもそんな経験をしたことがないのでよくわからない のですが、単純にこの王子のことを嫌いになることはできないというのが正直なところです。

 エピローグでは、王子は後に美しい妻をめとり、幸せな一生を送ったと書かれています。そして一応、眠るように死んでいるエリノアのもとに足を運びはした ものの、大して親しくもしていなかった女中のことなどすぐに忘れてしまうだろう、と締めくくっています。

 まあ、その通りでしょう。

 ですが、次の一文が読者にほんの少し救いを与えてくれます。

 エリノアは世界一幸せだったのではないでしょうか、と。
 

 そのことについて、ゴチャゴチャした評論めいた言葉を書くのは本意ではないので、ズバッと 感想を書きます。こういう形での幸福もあるのだな、と私は思いました。あとはひたすら、 切ない気持ちとうれしい気持ちが二重螺旋に絡んだ、なんとも言えない感情で満たされたのでした。


 作者について


 「17歳のおねえさんまんが家」として第4回少女フレンド新人賞に入選を果たした谷口 さんは、当時は高校2年生。授賞式には高校の制服姿でおもむき、賞状を手に微笑む写真は 当時の雑誌にも、それを収録した、私の手元にある復刻版にも載っています。

 幼い頃からマンガを書くことが好きだったという谷口さんは、どんな時でもマンガの アイデアを考えることを怠らず、修学旅行に行った時も電車の中でノートを持ち出して友達に びっくりされたといいます。

 高校進学直後は色々と思い悩み、いったんはマンガを描くことをあきらめた時期もありましたが、 少女フレンドの新人マンガ賞の募集を見て再びペンを取りました。

 「これでダメだったら、本当にあきらめよう」そういった思いで一気に『エリノア』を描き上げました。 実はこれは中学校の頃、自分の容姿を隣のクラスの子にバカにされ、思い悩んでいた時期に 描いてはみたものの、どうしても完成させることができず、それっきりになっていたものでした。

 後がないという思いを込めてこれを描き上げ、応募したところ、見事に入選。

 「これからもっと勉強して、立派なまんが家になるわ」

 しかしながら、決意も新たにこれからがんばろうという時に、突然病気に倒れてしまいます。そして妹や家族の 看病の甲斐もなく、三日後の早朝、息を引き取ってしまったのでした。病名は急性腎臓炎でした。

次回作『赤いコスモス』は、表紙も出来上がっていましたが、谷口さんの急逝により、 それは永遠に日の目を見ることがなくなってしまいました。

 このあたりの経緯については、当時4ページにわたって掲載された谷口さんの追悼特集で 書かれています。これは本当に残念なことで、片隅に載っている『スーパー・ブレンナー』 (大掛かりな『冷えピタ』みたいなもの。別名エジソンバンド)の記事のヘンテコさを笑う 気持ちさえなく、ただ無念の気持ちだけがこみ上げてくる思いでした。




 で、それから42年。ここからは私の手元にある、さわらび本工房より2008年10月に復刊された際に 発行者自身が調査した結果わかった真実のことが書かれています。

 この方(発行者)がいくつぐらいの人なのかは知りませんが、とにかくリアルタイムでこのマンガに触れた わけではない模様。過去の雑誌をパラパラとめくっているときにたまたまその名前が目に付き、 そこから紆余曲折、四苦八苦、暗中模索、まあ何でもいいですが並々ならぬ尽力の末、ようやく 復刊と相成った次第でございます。

 その中で、発行者は谷口ひとみさんの遺族から当時は伏せられた真実を伺うことができたのだそうです。 それは先の少女フレンドに掲載された、「志半ばで倒れた、マンガが大好きな女の子」といった ものではなく、もっと強烈な、そして突き刺さるような谷口ひとみさん自身の生き様でありました。


 (注・ここからは漫画のレビューとは少し違いますが、ともかく感じたことを整理して、忘れない ようにしたいので、しばらく文章を書きます)


 元々芸術的な趣味のある家庭に生まれた谷口ひとみさんは、当然のように? 創作という 活動に興味を持ち、中学2年生の時に連れて行ってもらったオペラにも深い感銘を受けました。 その一方で、これは少女フレンドの追悼特集にも掲載されていましたが、容姿のことをバカに され、何度も自殺未遂を計るなどといったこともありました。

 そのことでいづらくなったこともあったのでしょう、中学卒業後は遠くの高校に入学します。ちょうどこの頃、 大体同じくらいの年齢の里中満知子さんが16歳でデビューし、それをきっかけに漫画家になることを本気で意識し始めたということですが、 それはそのことを快く思わない両親との軋轢が生じるきっかけでもあったといいます。

 要するに趣味の範疇ならともかく、それを生業にするなんてとんでもない! といった気持 ちが両親にはあったのでしょう。谷口ひとみさんが読んでいた漫画雑誌や漫画の道具などを 何度も焼いてしまったことがあったのだそうです。そしてそんな両親から、谷口ひとみさんも 精神的に自立を果たそうとしていたと、遺族の人は語っています。


 また、翌年――高校2年生の時には、担任の男性教諭に恋をします。先に述べた容姿に対する コンプレックスから、異性に対して内向的になってしまっていた谷口ひとみさんにとって、それは 生涯最大の激しい恋であったということは、容易に想像できるところです。

 しかしながら、王子様と召使いではありませんが、生徒と教師では身分が違いすぎます。 まして教師は妻子ある身。とても結ばれることなどできません。

 そのような中で谷口ひとみさんがたどりついたひとつの結論。それまでの17年の中で培われてきた悩みと苦しみとその解法。 これを一気に纏め上げたのが『エリノア』でした。

 ちなみにこの頃、それまでトップクラスだった学校の成績が急激に低下し、両親が呼び出されるような事態になっていました。 「そんなことしている暇があったら勉強しろ」というのが両親、そして教師の第一の関心ごとでした。まあ、これは当時の世の中を思えば それほど想像に難くないですし、現代ならいくらか理解が得られるかもしれませんが、 それでも「漫画家なんて……」という心配な気持ちはきっと去来することでしょう。

 もっとも、谷口ひとみさん自身はそんなことなどお構いなしにマンガを描き続け、じつに一年がかりで仕上げた力作が完成しました。


 渾身の思いで描き上げた『エリノア』は、見事に入選。しかもすぐにデビューさせられるくらい 完成度が高いと絶賛され、いよいよ漫画家デビューへの道が開けたかに思われました。

 しかしながら、

 きっと、それでも、周りの人からの理解とか応援とか賞賛とか、そういった言葉はもらえなかったのではないでしょうか。

 あくまで、想像に過ぎませんが。

 ………………



 谷口ひとみさんが睡眠薬を飲んで昏睡状態になったのは、それから一ヵ月後のことでした。

 少女フレンドの記事とは違い、三日間、一度も意識を取り戻すことなく。

 その春の日――4月10日は、どんよりと曇った日だったといいます。実際にどうだったの かは知りませんし、興味もありません。

 その本当の死因は家族のみの秘密ごととされ、対外的には先述したように急性腎臓炎による 病死ということで、幕が下ろされたのでした。


 最後に、すごく無責任に、2008年の読者として感想をまとめます。

 最初に、短編漫画というのは作者さんが思い切ったことをズバッと描き切ってることが多い から好き、と言いましたが、こうして谷口ひとみさん自身のことを知ると、そのことがより いっそう強烈に感じられます。

 要するに漫画の主人公であるエリノアは谷口ひとみさん自身なのですね。容姿にコンプレックスを もってるけれど、精神的にはとても綺麗なものを持っている。身分の違う人に恋をしてしまい、 いいところまで行くけれど結局ダメになる。そして愛する人を想いながら、この世を去っていく。

 生前、谷口ひとみさんはアンデルセン童話の『人魚姫』について、「愛する人を殺せば人魚に なれるけれど、そうまでして生きたって仕方がないじゃない。愛する人が幸せになることを 思いながら泡になって消えられるのなら、それはとても幸せなことじゃない」と語っていたと 言います。

 その人魚姫の役割がエリノア、そして谷口ひとみさん自身に重なって仕方がありません。 谷口ひとみさん自身も、そんな思いで……なんてことを、想像してしまいます。理屈ではなく、 感情的にそう思ってしまいます。

 これ一本だけしか遺せなかったから、ここまで感情的になれたのかもしれません。2作目、 3作目と出ていれば、きっとまた、違った感想となっていたでしょう。もしかしたらここまで 好きにならなかったかもしれません。いや、今でも「好き」っていう感情とは少し違うのかも 知れません。何せ27歳の野郎、しかも何重にもひん曲がった精神の持ち主ですしね。

 ただ、実際、何度も読み返しました。そして読み返すほどに惹かれ、こんな文章を書いて います。藤子・F・不二雄先生の短編はナイフがゆっくり迫ってきて最後に深々と突き刺さる ような感じで、逆に二度と読めないようなものも少なくありませんが(絶対に忘れませんが)、 これは逆に、何度も読み返してようやくわかるような気がします。

 今、インターネットで検索をかけたら、こんな感じで感銘を受けた人間がどれほどいるのか。 それはよくわかりません。もしかしたら「2ちゃんねる」とかでもスレッドができているのかも しれません。

 わかりませんが、少なくとも私にとっては、この本の発行人が添えてくれた文章以上の情報は いらないなと思いました。少なくとも今は。だから、あまり余計な感情とか考えとかが入り込む 前に、一気に今の気持ちを記録していこうって。ええ、賢くないんです。私は評論は苦手ですし、 分析とかそういったことも望みません。


 今はともかくこういった漫画を、1981年生まれの犬神に読ませてくれる切っ掛けを与えてくれた、 文中の言葉を借りれば「再演のチケット」を与えてくれた発行人さんにこの上ない感謝を。

 そして、今はもう手の届かないところに行ってしまった谷口ひとみさんと、エリノアに、ありったけの花束を私からも。

 (2008年12月16日)





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